書評:オリンジ 韓国、英語幼稚園が特に要らない理由

'어린지' 한국, 영어 유치원이 별 소용 없는 이유

http://www.pressian.com/news/article_print.html?no=122938

 

ホン・ワンキ(KETG、韓国英語教師会顧問)

 

 「10年間英語教育を受けても、一言もしゃべれない」英語公教育に対するこういう批判は、久しい年輪を自慢にし、今もその威力を発揮している。周期的にTVの画面や新聞の紙面を飾ってきたこの批判は、つまり聞いて、話す英語会話教育を強化して、1歳でも幼い時から習うべきだという主張につながった。結局、1997年に小学校に英語が正式教科として導入され、英語公用語化論争と「オレンジ」ならぬ「オリンジ(幼いのに)」というジョークを醸し出したかと思うと、ついには英語私教育の時期は乳児にまで降りて行った。教師の会話能力が問題であると、英語会話の実力を見て教師を選別(採用)しはじめたし、「実用英語」の教科書も開発する等、政権が変わるたびに英語教育政策を新たに提示したが、早期「英語放棄者」は増えていって、‘10年批判’は相変わらずだ。

 

 いったい政府の英語教育制作にどんな問題があるのか。ひょっとしてこの批判そのものに問題があるのではないだろうか。イ・ビョンミン教授の「あなたの英語はなぜ失敗するのか?」(ウリ学校、2014年12月編集)はこのような疑問を含んで、私たちの社会の英語狂風の実態を的確に明らかにしながら、大韓民国の英語教育、そして学校の英語教育の方向を提示した力作だ。

 

英語は私たちの社会の意思疎通の道具なのか

 1990年代から政府は国際化・情報化時代にともなう‘社会的需要’云々を言い、まるで全国民が一定程度の英語会話能力を備えなければならないかのように前提を置き、日本よりずっと先に小学校に英語を正式教科として導入し、学校ではいわゆる‘テテ’ (TETE, teaching English through English)と言って、英語で英語の授業をすることとし、国民の不安感をそそのかして、英語教育狂風を自ら招いた。しかし、著者は、私たちの社会で英語が実際のどんな領域でどれくらい使われているのかについて基礎的な需要調査もなかったことを指摘して、その’社会的需要’が虚構であることを明らかにするとともに、そのことが英語教育の無限拡大を助長したひとつの原因だと目星をつけた。そして、このような狂風と学校英語教育10年に対する批判の底辺には、私たちの社会が二重の言語社会として行くべきだという期待値が存在するが、これは可能でもないし、そうあってはならないという虚偽意識であることを明らかにした。

 

 著者は、応用言語学者カチュル(Kachru)が分類した3つの英語使用グループ、すなわち英語を母国語として使う’内部グループ’、英国や米国の植民統治を経験した’外部グループ’、そしてそれ以外の‘拡張グループ’に属する国々で、英語がどんな位相を持って、どのように使われているかを一つひとつ調べた。その結果、世界で日本人と韓国人だけが、一つの言語で一生を過ごしても何の負担もなく、何の気兼ねもなく生きていかれるという条件下に置かれているので、韓国社会では英語が決して内部の意思疎通の道具にはなりえないという。多民族・多言語の国家として出発したシンガポールは植民支配言語である英語で、民族間の言語葛藤を解消しようとし、ヨーロッパの多くの国々も多民族・多言語国家であるから、英語を内部の意思疎通の道具として活用し、中国さえも二重の言語ないし多言語環境国家であるから英語を容易く受け入れるのだそうだ。パク・ノジャも『左右はあっても上下はない』で、ノルウェー社会は外国人をよく受け入れる開放的で国際的な雰囲気であるから、意志疎通をするために英語を使ってみたら英語が意思疎通の道具として作動していると書いている。著者はこれとは異なり、私たちの社会で英語は内部の意思疎通の道具には決してなりえないと見る。

 

 あまりにも当然の事実を著者がこのように学問的に糾明しなければならない理由は、私たちの社会内部の特別な英語イデオロギーによって、英語の価値が過度に膨らんで、二重言語社会という虚偽意識が作られ、その結果、高費用低効率の早期英語教育がまん延しているからである。

 

商品としての英語教育の力と危険性

 英語教育の無限拡大には政府の責任が大きい。英語と英語教育をいとも簡単に考えて、すべての国民の関心事だという理由だけで英語教育政策を随時乱発した結果だ。著者は国家の巨視的言語政策と、まともな国語教育政策もない状況で、英語教育政策がこれら二つを揺さぶるほどだと語る。英語教育が無限に拡大したのは、つとにHollidayが指摘したように英語教育が強力で危険な商品 (a powerful and dangerous commodity)であるからだ。ただでさえ世界的に需要が多い商品に対して、会話能力を強調した政府の政策のあれこれは意思疎通の道具としての英語という虚偽意識と不安感を植えつけて早期英語教育市場を育ててくれた。おまけに熾烈な入試構造から、たびたび起こる大学修学能力試験の変化で入試私教育市場が大きくなった。

 

 外国語も言語であるから、既存の試験のようにリスニング・読解の能力だけでなく、スピーキング・ライティングの能力も測定すべきであるとし、国家英語能力試験(NEAT)で、大学修能試験に代えようというイ・ミョンバク政府の政策が代表例だ。このために何年間にわたりNEAT市場が活況を呈したが、発表初期に予想された通りには全学年(国民)を対象にしたスピーキング・ライティングテストは可能ではなく、そうこうするうち結局廃棄された。

 

 英語教育の商業的属性を最もよく活用する機関はまさにマスコミだ。今、この時にも報道専門某チャンネルでは、昨年の大学修能試験の外国語領域について‘水修能’云々という報道をしながらも、現在実施している中高生の英語討論大会から、‘第1回小学生英語討論大会’市場を開拓している。著者が調査した通り、ノ・ムヒョン、イ・ミョンバク政権時代に年平均約5000件内外の英語教育のニュースを歪曲しながら吐きだしたのもマスコミなら、国民の私教育費負担を問題にする記事をだすのもマスコミであり、英語私教育を助長して実際に私教育の機関でもあるのがマスコミだ。「私教育の心配がない世の中」で、私教育をそそのかす報道機関たちの広報性ある記事を監視し始めるほどだ。

 

 Hollidayは特に教授法で商品としての英語教育の力と危険性が目立っていると述べた。ほぼすべての英語教育法が、アメリカ、英国などの英語を母国語として使う地域で第2言語として英語を学ぶ環境、すなわち著者の表現の通り、内部社会の意思疎通の道具として英語を学ぶ環境で開発されて、英語を初中等及び大学で教科として学ぶ国家に一方的に流入している。ところがこれは、第一に、輸入国家の教育環境に合わないこともあり、第二に、‘本場’で開発された教授法は常に優れているという理念的植民化を招くというものだ。

 

 代表的な例が、まさにわが国で一時流行したエマージョン(没入)教育だ。二重言語社会を指向するエマージョン教育に対し、著者は『早期英語教育熱風と虚構』で、カナダのフランス語エマージョン教育とアメリカの日本語エマージョン教育を例にあげて、その条件と限界を明確に指摘した。没入教育は単一言語使用国家であるわれわれには適用されないということだ。

 

大韓民国英語教育の方向

 我々の社会で英語が決して意思疎通の道具ではないことを明らかにした著者は、私たちの社会の英語教育と関連した虚構を剥ぎとって、大韓民国の英語教育、そして学校英語教育に対し、代案を提示している。

 

 まず言語教育の本質に関しては、第一に、英語教育の核心は露出の量とフィードバックがある相互作用であると述べる。よく知られていることとは違い、年齢が決定的要因ではないということだ。著者は早期英語教育に懐疑的だ。著者が言及した言語学者Phillipsonも外国語教育の誤謬中の一つに、「早く始めるほどよい」(The earlier, the better)を指摘したように、年齢が決定的要因ではなく、英語に、どれだけ多くそしてどんな方式でさらされるかが重要だということがある。英語幼稚園無用論だ。

 

 ニ番目には英語を読み書く識字力(リテラシー)と、英語を聞き話す言語能力は別個の能力であるのに、学校英語教育が読み・書き・聞き・話すことを同じ言語能力とみなして教えようとすることに問題があると著者は指摘した。わが国の教育課程と教科書開発指針書にはリスニング・スピーキング・リーディング・ライティングの均等な開発が目標となっている。問題は、4技能の均等な開発がひとつの課(レッスン)でも成り立つように教科書を作るべきだというものだ。そこで著者は小・中・高等学校の英語教育課程を通じて4つの言語領域をまんべんなくよく教えて学ぶことができるという幻想を捨てなければならないと主張する。

 

 著者はこの地点から大韓民国の英語教育の一つの軸を担う学校英語教育に焦点を合わせる。4つの領域に対する均等な開発が幻想であることを指摘した著者は、教師個人が構成する教育課程であるシラバス不在の問題を指摘する。教科書を以て成り立つ千篇一律の教育行為のために、教師の専門性というものが必要でないほどだということだ。ここにランク付け式の学校評価問題が、単に英語教育だけに限定されるものではないが、英語評価で、客観的に「合っている」「間違っている」ことが絶対的なものとして適用されれば、真の英語コミュニケーション能力を教えるとか、測定することは不可能だと主張する。そのような著者が、EBSに縛られて問題解説の授業に埋没している高等学校の英語教育を言語教育の現場とは見ないで、大学修能試験英語能力絶対評価導入を主張したのは当然の帰結だ。(著者は2014年4月15日に開かれた第63次韓国教育開発院教育政策フォーラム「修能英語科目絶対評価導入公開討論会‘のテーマ発題者だった。)*

 

個別オーダーメード式英語読み取りプログラム

 『あなたの英語はなぜ失敗するのか』は、学校英語教育の問題をもう一度振り返らせる本だ。4技能の均等な開発を目標にした教科書自体にも問題があるが、それでなくても入試に従属している教育に、愚にもつかないEBS教材の連係によって学校英語教育は言語教育の本質を見失った。教師たちの教科専門性は、問題解きの授業の中で退化していきつつある。著者の主張の通り、教師の自発性と創意性を動かす方法を真摯に講じなければならない時だ。

 

 著者は言語の機能的な側面からは「読みとり」教育を強調する。インターネット情報の50%以上は英語で書かれている「文章」であり、英語で話された「ことば」ではないのに、国家では英語会話の優秀者を選抜することだけに関心を持ち、英語「読みとり」教育や教授法開発には関心がないと言ったが、10年間に700〜1000時間の学校英語教育を通じてそれなりの所期の成果を出すことができるプログラムとして個別オーダーメード式英語読みとりプログラムをあげる。‘個別オーダーメード’とは、フィンランドの教育課程に明示されている個別化授業(differentiation of instruction)に他ならない。法になっているフィンランドの国家教育課程文書の「教授法及び学習法」の章にはこのように明文化されている。

 

 「学生個人の必要と、学習集団の需要を考慮しながら教える時、最も重要な手段は個別化授業であり、学期を通して施行されなければならない。学生個人の自尊感情ならびに学習動機とともに、個人ごとに異なる情緒的欲求、そして学生ごとに異なる学習スタイルと能力と関心分野を考慮する必要がある。 (中略) 個別化授業を通じて学生一人ひとりに適切な課題を提示して、これを完遂させることで、自分の長所・強みを生かして発展的に学習する機会を提供する。こうした点で、一クラスの学生たちでも個人別にそれぞれ違う能力と関心を活用させられるようにすることが重要だ」

 

注*:大学入試対策に「EBS(教育TV)出版」が参考書を出していて、ほとんどの高校で副教材として採用している

イ・ビョンミン(ソウル大教授)「あなたの英語はなぜ失敗するのか」Pressian books

 

(翻訳・棚谷 孝子 新英語教育研究会)