新英語教育研究会アメリカ旅行2005

 

参加者 小部修、武市秀男、池田真澄、(池田智)

日 程 200年8月4日〜11日

 

<10年ぶりのサンタ・フェで>

   キャミー・コンドン(Camy Condon)さんからのお誘いで、「平和の子どもの像(Children’s Peace Statue)の10周年式典」に参加してきました。

 

   ‘95年にアメリカの子どもたち(Kids’ Committee)の運動で完成したこの像は、彼らが設置を目指していたロス・アラモス市議会では許可が下りず、アルバカーキ美術館に3年間置かれていました。しかしサンタ・フェ市に置くことが決まり、現在は宿泊施設ゴースト・ランチの庭に置かれています。これでロス・アラモスまでの距離は90マイルから20マイルほどに近づいたわけです。

   式典(といっても庭の明るい日差しの中での集会)は、合唱、開会挨拶、牧師の挨拶、キャミーさんの「平和の子の像」ストーリー、子どもたち(トラビス君、ケートリン、ボニーさん)の語り、私と小部さんの日本からの挨拶,子どもたちによる折り鶴の飾り付け、歌(We Shall Overcomeを含む)、車と自転車によるデモと続きました。当時の「子どもたち」はすっかり成長し,立派な若者になっていました。ボニーは可愛い赤ちゃんを抱いていました。キャミーさんは相変わらず元気で,集会の中心として精力的に動き回っていました。

   私は広島市長秋葉忠利さんからのメッセージを読み上げ,「世界の子どもの平和像」が東京・広島・京都に誕生したことを報告しました。終わったら皆さんがstanding ovationしてくださり恐縮してしまいましたが,はるばるサンタ・フェまで来て平和への思いを共有できて良かったと胸が熱くなりました。

   子どもたちとサポーターの願いは、やっぱり原爆の研究・開発・製造が行なわれたロス・アラモスに像を置くこと。挨拶の中でそのことが強調されたし,歌を歌いながら、その時にまた再会することをみんなで誓いました。

   愛知県の三浦照代さんからは8000羽もの千羽鶴を送っていただきました。アメリカの子どもたちが作った千羽鶴とともに「平和の子の像」を美しく飾りました。

 

<何でもありの個人旅行>

   サンタ・フェへの道のりは本当に大変でした。LAからの飛行機は故障で飛ばず,急遽フィーニックス経由で行くことに。さらに追い討ちをかけるように、機内持ち込みの手荷物を無理矢理係員に奪われ,それを受け取るのに時間がかかって,フィーニックスからの便に間に合わず、次の飛行機に変更。アルバカーキに到着したのは深夜11時過ぎとなりました。

   帰りの飛行機に合わせ、早朝6:00のシャトルバスを予約したのに、バスは50分も待っても現れず,あわててタクシーを呼ぼうと相談したらボランティアスタッフの夫妻が車で送ってくださることに。受付の仕事を放り出して,アルバカーキまで、1時間以上もバンを飛ばしてくれたのでした。バスのいい加減さと,スタッフの心の暖かさを同時に味わいました。

   キング・センターの周囲は黒人が多い地区で、道案内するふりをしてたかろうとする輩、札の交換を乞いながらたかろうとする輩に出会いました。昼間で3人いっしょだったので、すごすごと引き下がってくれましたが,夜で1人だったら危ないことになったでしょう。(この人たちはその英語から判断して,昔からこの地区で育った人ではなく,最近移民あるいは不法入国してきた人たちでしょう)

   そのかわり、偶然の出会いや出来事もいっぱいありました。

   教育事務所のインディアン局を訪問したら,次の日に本のプレゼントを持って会いにきてくれたプエブロ・インディアンの人たち。スタッフの紹介で,インディアンの自宅訪問もさせてもらえました。鷹の羽や陶器のお土産ももらいました.(「インディアン」はネイティヴ・アメリカンまたはファースト・ピープルというのが、Politically Correctな用語ですが,ご本人たちが「インディアン」でもいい、といっていました。)

   日本人収容所の研究をしている岡田貢一朗さんは、収容所跡を案内してくれた上に,研究論文までプレゼントしてくれました。このサンタフェにアメリカ全土の日系人の主要人物を集めた収容所があったことは初めて知りました。

   ゴーストランチの「平和の子の像」を訪れた「核兵器解体ウオーク」の3人の日本人僧侶たちは、何とLAからトリニティサイトまでの250キロを歩いていました。テレビ局が私たちも含め取材してくれました。

   キング・センターでは残念ながらコレッタさんには会えませんでしたが,夜センターの庭で反核団体による「長崎式典」があり、参加することができました。平和の歌,サダコの物語と踊り,折り鶴,灯籠流しなど、飛び入りの私たちを暖かく迎え入れてくれました。ここで黒人女性がそばに来てくれて一緒に歌ったWe Shall Overcomeは忘れられません。

 

広島市長のメッセージ(一部略)

   「平和の子の像」の建立10周年式典が開催されるにあたり、メッセージをお送りします。ヒロシマは60年前の被爆体験を原点に、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え続けてきました.しかし、世界各地で憎しみと暴力、報復の連鎖が断ち切られないまま、今なお地球上には大量の核兵器が存在し,使用される可能性が高まっています.(中略)

   こうした中、アメリカ全土の子どもたちから1ドル募金などによりサンタフェに建てられた「平和の子の像」の10周年式典が開催されますことは誠に意義深く,関係者の皆様の平和への取り組みに深く敬意を表します.今後ともヒロシマの記憶を心にとどめ,憎しみや恐怖から解放された、核のない平和な世界の実現のために私たちとともに力を合わせ行動していただくことを心からお願い申し上げます.ご参列の皆様のますますのご健勝をお祈り申し上げます.

   2005年8月6日 広島市長 秋葉忠利