2004新英研「平和と非暴力をつくる」アメリカ旅行に参加して
2004・8・25
黒川 泰男
はじめに
私たち夫婦は阿原成光(和光大学教授)を団長とする「平和と非暴力を作る」アメリカ旅行に参ずることになった。妻はアメリカ旅行を2回経験しているが、 高齢(77歳)の私は、一度もアメリカを訪れたことがなかった。
長年月英語教育に関わってきながら、アメリカの土地を踏んだことが無いとは非常識極まること。77歳にして、そんな自覚が生ずるとは、私の晩生(オク テ)ぶりは異常。英語にBetter late than never. という諺あり。いや、正直に告白しよう。私は英国へは10回以上も行っているのだ。脱亜親欧に類した脱米親英。これは許すまじき差別意識。そうした自己呪 詛があって、深慮の結果としてアメリカ遠征を決意。8月5日成田發で、帰国は同12日。短期の外遊であるが、公けにされている旅行目的が魅力的である。加 えて、団長は新英研切ってのアメリカ通。
妻はアメリカ南部などに10日ほどの旅をしているが、家では何やら二人とも多忙で、そうした妻の旅歩きの話をじっくり聞く機会もなかった。しかし、この たびは旅の道中で妻とも一層親しくなれそう。かてて加えて、同行する13人の若者が素適な人に感じられてならない。大方の皆さんは私よりも40歳ほども若 いらしい(実際その通りだった)。その人たちは私如き老い呆けが知らない新知識をふんだんに持ち合わせている。いや、私は皆さまから若返らせて貰える。嗚 呼!何たる福徳の旅。未来に目を向けた青春群像との共存・共生、水入らずの語らい。さてさて回顧的になりがちだった我が身の未来志向が始まるのだ。
ふたたび蘇ったサダコ(注1)
大きく言って、私たちはシアトル2泊、アトランタ2泊、アルバカーキ2泊の旅をしたのだが、それらの地名を耳にするだけで、これが通常の旅でないこと が知られよう。
私たちは8月6日広島の原爆の日に、シアトルに着地、すぐさまシアトルピースパークに赴いた。そこには2歳で被爆して、10年後に白血病で亡くなった 佐々木禎子さんのブロンズ像がある。昨年12月末に、それは心無き何者かによって腕を切断されてしまった。サダコ像の修復のために、在米の平和運動家・パ ンピアン美智子さんが募金を呼びかけ、新英研の阿原成光氏が日本での窓口を引き受けた。その修復式に私たちは参列。私たちは美智子さんが作詞・作曲した "Sadako and The Thousand Paper Cranes" (注2)を阿原先生の指揮を受けながら、バスの中で急遽練習して、修復式で歌った。そして日本から駆けつけたサダコさんの兄(佐々木雅弘さん)をも含め、 多数の現地の人たちと一緒に、サダコ像が蘇るのを見守った。
From Hiroshima to Hope 2004
6日の夜は広島・長崎への原爆投下59周年の集会がグリーンレイクで開かれた。この集会では胡弓・太鼓が演奏され、力強い合唱が行われた。また、美智子 さんの指揮による子どもたちの合唱で、“Sadako and the Thousand Paper Cranes" が歌われた。そして私たち一行もそれに加わった。仏教の僧侶も参加し、お祈りを捧げた。加えて広島からの来賓、佐々木雅弘(サダコさんの 兄)の挨拶があった。
日が落ちるまでには、だんだんと人が集まってきて、会場は静かでありながら活気を帯びてきた。暗くなった頃、それぞれ手に持った灯篭に蝋燭の火が次々と 灯され、参加者は湖へと向かった。そして、灯篭流しが始まった。平和とか希望とか夢とか愛とかいう漢字が書かれた灯篭が次々と静かに暗闇の中を湖岸沿いに 漂い流れてゆく。音楽が静かに聞こえ、あたりは幻想的な雰囲気に包まれる。多くのアメリカ人が手にしている灯篭に書かれてある文字は英語ではなく漢字で あった。それが印象的で親しみを感じさせてくれた。
キング牧師(1929~1968)の生家見学
8月7日朝6時にシアトルから空路で、デンバーでの乗り継ぎを経て、午後3時半にアトランタに到着。出発地から目的地へ到着する時間帯に注意。アメリカ とは国内で時差が変わる国。高層タワーの4つ星ホテル:ヒルトンでチェックイン。街中を散策、街は重層ビルが立ち並び、高級感があって、ホテルの周辺は人 の暮らしぶりの匂いがあまり感じられなかった。
朝3時半にモーニングコールがあって、移動に長時間を費やし、私たち二人は疲労困憊。二人は明日のプログラムのため早めに休息することにした。
8月8日はキング牧師の生家及び関連施設見学とエベニザーバプテスト教会でのサンデ―サービスに参列した。この礼拝は私たちに取って初体験。祭壇のとこ ろには各自それぞれのアフリカ衣装を身にまとった30名ほどの聖歌隊が立ち並んで、全身全霊で賛美歌を謳い上げていた。会場は豪放な手拍子で聖歌隊に呼 応。
牧師の説教は熱狂そのもの、祭壇から信者の中へ割り込むほどに気合が篭っていた。まさに大らかなパフォーマンスを見ている感じであった。
ここで、キング牧師に関わって、パーソナルな発言をしたいと思う。キング牧師と言えば、特に英語教師であれば、その名演説 I Have a Dream を思い起こすに違いない。私は高校と大学とを合わせて50年もの教師生活を営んだことになるが、私が圧倒的に回数多く使った教材は I Have a Dream。それは私に取って最も気合いが入った授業であった。自分のことを偉そうに語る気はさらさら無いが、今年(2004)喜寿の歳(77歳)を迎え た私は今なお年齢にふさわしい夢を抱きながら日々の生活を営んでいる。英語で自己表現すれば、この原稿をしたためている今・現在、私はI Have Dreams and Hopes という心境を抱いているわけだ。
それでは、私はどんな夢や希望を抱いているのか。基本的には、それはキング牧師の夢と、さしたる変わりは無い。社会的背景をアメリカから日本へ変えれば よいだけ。私は偉人にあらず、平凡な一市井人にしか過ぎないが、そうであればこそ私には夢が必要であるのだ。又、そうであればこそ、希望を失ったら、私は 蛻(モヌケ)の殻になってしまうのだ。どれだけ老いても、私はそんな意気地のない人間にならないぞと、キング牧師の諸施設を歩き回りながら、改めて私は自 分に言い聞かせたのだった。
施設の中には売店があって、教材になるような本、テープ、ビデオ、ポスターなどを、参加者は両手に抱えるほど数多く購入していた。勿論、私たちも本やら キング牧師の言葉の入った絵葉書やらテープ(“I Have A Dream” “Why I Oppose The War In Vietnam”)などを買い求めた。キング牧師に関わって小学校低学年の子供向けに作られた絵本が気に入ったので、何冊か買った。
8日の午後は自由行動。元気な方は『風と共に去りぬ』のマーガレット・ミッチェル・ハウス記念館などへ出かけたが、私たちは疲れ切っていて3時間ほどホ テルで休息を取った。夕方になって、私たちはかなり遠くにあったショッピングモールへ行った。この辺りに来ると、ホテル近辺と違って、あちこちに数多く人 がたむろしていた。ここは極めて庶民的な雰囲気であった。このショッピングモールで、私たちは美しい詩集と詩と絵が書かれた大判のカードを入手した。詩集 の中から4行だけ抜き出して、以下に記すとしよう。
You're an original, an
individual, a masterpiece.
Celebrate that; don't let your
uniqueness make you shy.
(以下3行省略)
アメリカは私たち日本人にとって、途方もなく広く大きい国である。9日は空路アトランタから、デンバーで乗り継いで、次の目標地アルバカーキに参着。こ の日も大方移動に時間を費やした。アルバカーキはニューメキシコ州で最大の都市(州都はサンタ フエ)、標高3400メートルの高地に位置している。私たち一行は4つ星クラスのシェラトンに投宿。付近は殆ど民家がなく、大きなショッピングモール、銀 行、大書店などが散らばっていた。ほとんど皆が書店へ流れ込んで、思い思いの対話やら本探しやらを楽しんだ。
アロヨ・デル・オソ小学校を訪問する
10日はアルバカーキの小学校を訪れることになった。この小学校訪問は元のプログラムにはなかった。アルバカーキに着陸した時、私たちを出迎えた在米日 本人ガイドに阿原氏がこの小学校のことを知っているか尋ねたところ、たまたまガイドのお子さんが卒業した学舎であることが分かった。また、ガイドがこの学 校の近くに住んでいるということだった。この小学校はアメリカに「子どもの平和像」を作るプロジェクトクトに携わってきた。大至急、ガイドはこの学校の先 生に連絡すると約束してくれた。夏休み中でもあり、急な話でもあるので、訪問できるかどうか分からなかった。ところが、幸運にも連絡が付いて、校長や退職 していた教師も駆けつけてくれた。私たち一行は図書館に案内されて、3人の先生方から話を伺った。そこで、阿原氏が持参したビデオテープを皆で見て、「子 どもの平和像」を実現させる経緯を改めて認識することができた。
平和教育に携わっているアロヨ・デル・オソ校のルールが玄関の壁に次の通り貼り付けられていた。
Responsible Respectful Caring Safe
ARROYO DEL OSO ELEMENTARY SCHOOL is a place where children may reach their potential academically, socially, and emotionally so they are prepared to meet the challenges of our changing world.
別れを告げるに際し、当学校の教員を交えて私たち一行は長く一列に連なっている折り鶴を持ち合い、玄関に並んで、記念写真を撮った。この折り鶴の鎖は平 和のための交流に役立てようと、日本から携えて来たのだった。日本からのおみやげとして、国際交流を促す言葉や写真が貼り付けられた大形の模造紙が先生た ちに渡された。
砂漠と文化(住 め ば 都)
アメリカ合衆国南西部に位置を占めるニューメキシコ州の標高は富士山5合目レベル、最高の山のピークは4011メートル、最も低い地面は886メートル。 しかし、その大部分は緑滴る山々ではなく、果てしなく続く高地砂漠。そうした大地域を頑丈にできた車が私たちを乗せて突っ走ったわけ。稀には、一方は砂 漠、他方は人家が点在する緑地帯になる地点もあったが、感じとしては砂漠王国を猛進しているふうであった。よく観察すると、砂漠は起伏に富み、至るところ セージ(sage)という植物が生えており、場所によってはパインツリーが繁みを作っていた。
道中、私は図らずも、英語の諺:There is no place like home.という言葉を思い出した。私はアルバカーキの空港で、砂漠に関わったイラスト付き詩集を2点買っておいた。その一部を紹介する方が私の説明より もはるかに説得的であろう。
DESERT PERSON
Like any desert creature,
I build my own
safe shelter
with what desert
gives.
I made thick walls
of mud and straw.
With my own hands
I shape the earth
into a house.
But when I say,
"This is my home,"
another desert person
always knows
that I don't mean
the house.
I mean
the farthest mountain
I can see.
I mean
sunsets
that fill the whole sky
and the colors
of the cliffs
and all their silences
and shadows.
I mean
the desert
is my home.
DESERT VOICES BY BYRD BAYLOR
私は砂漠には文化がないと漠然と思い込んでいたが、この詩にめぐり合って、私の砂漠観が変わり始めたのだった。“人間到る処青山あり”という言葉の深い 意味が分かりかけたような気になった。
ロスアラモスのブラドベリー科学博物館を見学
10日午後ロスアラモスのブラドベリー科学博物館の原爆関係展示物を見学した。アメリカ当局による広島・長崎への原爆投下の評価を示す展示物のなかに、以 下のようなヘッドラインを見た。以下、記録してきた事項を二つ、三つ紹介してみよう。The Los Alamos Education Groupによれば原爆投下の政府側の意図は以下の通りであった。..
Why the Bomb?
・A Bomb Saved Civilian and Military Lives.
・Were the Japanese Ready to Surrender?
・Atomic Bombs were a big step towards okaying war on innocent civilians
・We mourn the lives lost and celebrate the lives of those who survived
because of the decision to use the atomic bomb to end the war.
以上の原爆投下の正当性を主張する壁展示の片隅に、ただ一つ以下のヘッドラインが目に入った。
・Atomic Bombs were not needed to end the war quickly.
これを掲載したのはThe Los Alamos Study Groupの、 日本への原爆投下を批判する見解を無視できなかったからであろう。
ロスアラモスへ向かう途上では、快適な空気のただ中を高スピードで走り抜けたが、途中3回ほど、その純白さが人目を引く研究所が目にとまった。それらの研 究所では核兵器の研究開発が行われているのであろうか。その内部がどうなっているか、バスの中からは最高級のビデオカメラを以ってしても窺い知りようもな いこと。にもかかわらず、研究所の前を通過する時はガイドが写真撮影禁止の警告を告げるのだった。
サンタ フエの街散策
10日午後ロスアラモスを発って、私たち一行はニューメキシコの州都サンタ フエに到着。ここで1時間半の自由時間を楽しんだ。サンタ フエは芸術家の街、他の街では見られないエキゾチックな典雅さがあり、建物はアメリカらしくもなく高層ビルが全く無い。建物の色はピンクがかった薄ブラウ ン、形は四角いチョコレートの複合体さながら、尖った屋根は皆無。私たちは三々五々街中を漫ろ歩きした。店の品物はどれもこれも洗練されており、高級品ば かりだった。アメリカ人が訪れたい街ナンバーワンに選ばれたと言う通り、人を魅する魔力を潜めている。
最後に聖フランシス聖堂に立ち寄り、無心論者ではあるが、慎ましく祈りを捧げた。
アメリカの「子どもの平和像」
サンタ フエで忘れてはならない最重要の建造物は「子どもの平和像」。これは広島の「原爆の子(サダコ)の像」に由来している。世界平和を象徴する像をアメリカの 子どもたちが5ヵ年計画で自国に建てるという夢を1995年に実現したものである。この「平和像」を建造するに当たっては、日本の平和活動家・阿原成光氏 の至大な尽力があったのである。この「平和像」は地球の形の上に花・木・動物がブロンズとなって結合し、世界の7大陸を形作っているものである。万羽鶴が その地球に架けられていた。それらの折り鶴は世界中から届けられたものである。私たち一行も多くの千羽鶴をかけて、世界平和を祈願した。
結び
いよいよ結びの言葉を述べる必要があるのだが、この“2004新英研「平和と非暴力を作る」アメリカの旅”は私に取って未完の感想文としか言いようが無 い。例えば、食べ物は文化であるが、この旅行のあちこちで、私はどんな食べ物を食べてきたのか、何ひとつ書かなかった。ニューメキシコ州ははどんな歴史的 経過を辿って、アメリカの領土になったのか。私自身の至らなさは別にすれば、私たちの新英研「平和と非暴力をつくる」アメリカの旅は大成功であったと思 う。こうした評価に異論を投げかける人はいないと私は信じているのだが、成功の理由を幾つか以下に列記してみよう。
・団長阿原成光氏の企画が素晴らしく良かった。結果として、20年にも及ぶ長年月の準備の成果が花開いたのだ。
・添乗員さんが人間的に言いようも無く良かった。優れた力量を持ちながら、何ら誇らしい様子を見せず、心暖かく私たちを包み込んでくれた。
・参加者全員がアメリカ旅行の意義をよく理解し、学習意欲に燃えていたこと。言いたいことは幾つもあるのだが、来年も同じく新英研「アメリカの旅」を続 けるよう団長阿原成光氏にお願いして、当座の幕を下ろすことにしよう。
注
(注1) Sadakoに関しては、文部科学省検定英語教科書 NEW CROWN 3, LESSON 3 :Hiroshima and Nagasaki の中で採り上げられている。その冒頭部分を以下の通り引用して見よう。
Kumi : I've just read this stiry about Sasaki Sadako.
Sadako was two years old when the atomic bomb was dropped on Hiroshima. She suddenly became ill at the age of twelve. "I'll get well if I make a thousand origami cranes," she believed. Sadako died, but people around the world remember her. They are making cranes for her and for peace.
(注2) Sadako and the Thousand Paper Cranes By Michiko Pumpian
Senba zuru, senba zuru tsubasa wo hirogete
Maiagaru, maiagaru Sadako no yumenose
Heiwa no kane naraso minna de naraso
Thousand paper cranes, thousand paper cranes
spread your wings way up high
Dancing through the sky, dancing through the sky
with Sadako's dream we fly
Bells are ringing, children singing
Peace is rising in the world
Sadako we'll carry on, carry on
Sadako we'll carry on, carry on
Sadako we'll carry on, carry on
Sadako we'll carry on, you are the symbol of peace
Senba zuru, senba zuru tsubasa wo hirogete
Thousand paper cranes, thousand paper cranes,
spread your wings way up high
Heiwa no kane naraso Peace is rising in the world
Sadako we'll carry on, carry on
Sadako we'll carry on, you are the symbol of peace
Sadako we'll carry on, carry on
Sadako we'll carry on, Heiwa no shinboru
Sadako we'll carry on, carry on
Sadako we'll carry on, you are the symbol of peace
Senba zuru, senba zuru tsubasa wo hirogete
(Carry on )
Maiagaru, maiagaru Sadako no yumenose
(Heiwa no shinboru)
Senba zuru, senba zuru tsubasa wo hirogete
(Carry on )
Maiagaru, maiagaru Sadako no yumenose
(Heiwa no shinboru)
Michiko l. Pumpian 1995
published by Dream Come Through Productions ASCAP