ベトナム友好村の枯葉剤犠牲の子どもたちが待ち望んでいること

ベトナム友好村国際委員会に参加して実感していることは、ベトナム友好村の運営責任者の一員としての自覚を迫られていることである。「不戦兵士・市民の 会」から引き継ぐときに、「ベトナム平和・友好村支援新日本委員会」という命名について山内武夫さんから、「支援というにはおかしい。新日本委員会は直接 の運営責任を負うのだから」と言われたことを思い出している。そのときは「ハノイ平和村」への支援も視野に入れているので、と考えていた。しかし、国際委 員会に参加し、ベトナム友好村の管理運営について討議をし、共同宣言と議定書に署名した後で、ホーチミン廟に隣接する大統領府でホア・ベトナム社会主義共 和国副大統領に接見し、日本代表として紹介され、ベトナム友好村への国際的な支援を要請されると、じわじわと直接の運営責任者として自覚せざるを得なく なってきた。

国際会議のあとで、バッチャンへの親善旅行で軽い心臓発作を起こしたのも、事態の重大さを身に沁みていたからだろう。それにしても、山内武夫さんのように 一人では絶対に背負いきれない、と思いつつも、帰ってからの一ヶ月間はただただ不安の谷底をうろうろしていたようだ。

山内さんから引き継ぐときに、念を押されたのは、「東京都連という地方支部が引き継ぐのではなく、全国組織が引き継いでくれるんですよね」ということだっ た。仕事は、東京都連がするが、日本ベトナム友好協会が引き継ぐことをきちんと理事会で確認してもらったと思っているが、ベトナム友好村にいる枯葉剤の犠 牲になった子どもたちに実際に会ってみないと、この運動の重要性を実感できないと思う。それは、自分自身のことを考えればわかる。

ただ、連日のようにベトナム本土では、枯葉剤被災のことがテレビ、新聞で報道され、国際的にも大きな問題になりつつあるときに、事は緊急を要すると思うこ としきりである。それにしても、非力が悔やまれる。精一杯取り組むしかないのだろう。

中村梧郎さんの「戦場の枯葉剤」(岩波書店)と、大石芳野さんの「あの日、ベトナムに枯葉剤がふったー戦争の傷痕を見つめ続けた真実の記録」(くもん出 版)は素晴らしい参考書で、みなさんにぜひ読んでいただきたいと思う。

おわりに、早乙女勝元さんのよびかけの文で締めくくりたい。

「ベトナム解放から30年。今もなお続く戦争の後遺症で、平和はまだ来ていない。最大の犠牲者ともいうべき子どもたちに、人間としてのこころを伝えること ができたら、と思う」