ダイオキシン訴訟情報第6号(翻訳編集責任、和田正名 2005年2月20日)

 2月28日のニューヨーク市ブルックリン区連邦裁判所での、双方の弁論開始が直前に迫り、ベトナム・オレンジ剤/ダイオキシン毒薬被災者の会の事実上のホームページ「ダイオキシン/ベトナム」などに、新しい情報が載り始めました。以下は、その一部の要約です。

(1)十問十答を掲載
 19日付の「ダイオキシン/ベトナム」は、オレンジ剤毒薬について簡潔に解説する十問十答を掲載しました。問いは、1、オレンジ剤毒薬とは? 2、その危険は? 3、アメリカが撒いた量は?、4、ダイオキシンの作用は? 5、影響を被った人数? 6、「よみの国」作戦とは? 7、アメリカは責任を認めているのか? 8、被災米兵の告訴は? 8、現状は? 10、ダイオキシンは地球的問題? からなっています。

 このうち、第5問の被災者数については、雑誌「ネイチャー」の資料をもとに、最新統計として、210万人から480万人が汚染、大部分はベトナムの住民と軍人だが、その他に、米兵と同盟国軍のオーストラリア、カナダ、ニュージーランド、韓国の軍人がいるとしています。第6問の「よみの国作戦」と は、ケネディ大統領がこの作戦を命令したときの作戦名だが、あまりに露骨なので、その後「ランチ・ハンド作戦」と変えたと説明しています。

 第10問で、ダイオキシン問題はベトナムに関連した問題にとどまらず、産業活動や廃棄物焼却などが危険な作用を及ぼしている問題だとのべています。

(2)被災者の会が、海外在住ベトナム人に支援要請の手紙
 20日付「ダイオキシン/ベトナム」は、被災者の会が、テト(旧正月)にあたって、外国に住むベトナム人に手紙をおくったと報じ、その長文の手紙全文を掲載しました。

 手紙は、アメリカが戦争中にベトナムに、オレンジ剤/ダイオキシン化学毒薬を長期、大量撒布し、その災禍がいまも拡大し、化学毒薬製造会社に賠償を求めて告訴するまでの事実、経過をくわしくのべています。広がる国際支援について、日本を含む諸国のベトナムとの友好協会で拠金、支持署名がひろがり、1100万以上の署名が届いているとしています。最近ブラジルで開かれた社会フォラムでも訴えて大きな国際的反響をえたとも強調しています。手紙は最後に、ベトナムの兄弟姉妹として、またベトナムの祖先が伝えてきたように、「人はみな兄弟姉妹、抱き合って助け合おう」と支援を訴えています。

(3)原告の一人、フィー・フィー教授が裁判出廷に出発
 トゥオイ・チェー新聞の19日付によると、被災者の会の常任委員で、同時に最初の被災者個人告発に参加した3人の一人である、ファン・ティ・フィー・フィー教授が、2月28日に始まる法廷での双方の最初の論争に参加するため、ニューヨークに向かいます。

 ファン・ティ・フィー・フィー教授は1937年生まれ、多年にわたってハノイ医科大学で教鞭をとり、かつては、ベトナム戦争中に南チュンボの病院の責任者をしていました。会のグエン・チョン・ニャン副会長によると、フィー・フィー教授は、訴訟論争のあと、39人のアメリカ人が執行部をつくる、アメリカの救援と和解の組織の活動に参加します。この組織はワシントン、ボストンなど大都市にできていて、ベトナムでのオレンジ剤毒薬被災問題の宣伝、救援活動をしています。

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 [訂正]前号の一部で、旧正月のえとの誤記がありました。正しくは乙酉(きのととり)です。