旅行中に書いた日記です。一寛(いっかん)十才

 

八月十一日(一日目)

 ぼくは、お母さんの英語の先生のツアーに参加してベトナムに行くことになりました。始めに、成田空港で英語の先生たちと会いました。ぼくが知っている人が少ないので、ちょっときんちょうしました。でも、会ってみるとみんなやさしそうで、「これがうわさの一寛君か」などと言ってくれてうれしかったです。

 その後、いろんな手続きを行って飛行機に乗りました。久しぶりに飛行機に乗ったのでわくわくしました。飛行機の窓から見える台わんや沖なわなど、いつもは見られない風景がすごくきれいでした。

 空港をおりて外に出たとたん、 すごい数のバイクの数におどろきました。バスに乗ってからぼくの横のガラスをたたく音がして、見たら、べトナムの人のバスの運転手が何かぼくに話しかけていました。でも、ほくは何をたのまれているのかわからなくて、おろおろしていたら、となりの席の人が、「窓を開けてと言っているんだよ」と教えてくれました。それで、ぼくが開けたら、OKというような合図をしてくれてほっとしたような、うれしいような気がしました。

   バスでホテルに行くとちゅう、とにかくバイクの数がはんぱじゃなくて、バイクの波が夜になってもすごいらしいです。ホテルに着くとまたびっくり。すごくごうかなホテルでした。夕食は近くの食堂で食べました。ぼくの食べられるものか不安だったけど、おいしかったです。その後一人ずつじこしょうかいがあって、みんなの前できんちょうしたけど、すごく大きなはく手をもらってよかったです。

 

八月十二日(二日目)

 統一会堂という、南ベトナムの 大とうりょうが住んでいて、ベトナム戦争の終わりをつげた場所に行った。すごくきれいな大広間や地下室の作戦室がすごかった。さらに大とうりょうと副大とうりょうがにげた時のヘリコプターが残っていたり、あいずのために落としたばくだんが落ちた所の印があった。にげた内のひとりは生きていることにおどろい た。

 次にベトナム戦争の時の写真や 武器がある所に行った。とても見るのがこわいような写真ばかりで、戦争のつらさが、けいけんのない自分でもちょっとわかったと思います。

 自由時間で町をぶらぶらしていると、けっこう、お金をくださいと言う人がいました。子供がせんすを売ったりもします。日本でそのようなことはあまりないのでかなりとまどいました。かわいそうだと思ってあげることもあれば、あげられない時もありました。同じ人間なのにぼくたちのような人もいれば、すごくまずしい人もいて、すごくかわいそ うでした。

 

八月十三日(三日目)

 今日、午前中はホテルのまわり でいっぱい遊びました。午後、みんなと昼食を食べた後、バスに乗って、クァンガイという所のホテルにむかいました。ホテルではベトナムのダーちゃんと待ち合わせをしていました。バスの中で、ひとりずつ、ここまでの感想を言うことになりました。ぼくは、「ベトナムでは畑をたがやすのに水牛という働く牛を使っ ていて、日本では機械を使っていたり、ぼくより年下の子が働いていたりして、なぜこんなに差があるのか、できれば公平にしたいと思う。」と言いました。それと、お年よりにインタビューをお願いしました。

 ホテルに着いたら、少し休ん で、夕食にしました。夕食にダーちゃんの家族が来るということで、ドキドキしていました。ダーちゃんの家族が着たら、大きなはく手でむかえました。食べている間に、家族一人一人にプレゼントをわたすことになりました。それでぼくは、プレゼントする係りのひとりになって、ダーちゃんの妹の子供にわたすことに しました。わたす時、ベトナム語で「こんにちは(シンチャオ)と言ったら、むこうは日本語で「こんにちは」と言ってくれました。気持ちが伝わったような気 がしてすごくうれしかったです。その後ダーちゃんにインタビューして、どんな時つらいかを聞くと、「母と父などまわりの家族が殺されてしまい、それを思い 出すとすごく悲しく、つらい」と言ってくれました。だけど、今はこんなにすばらしい夫、妹、子供などにかこまれていることが、何よりの幸せだと言いまし た。ぼくは家族が殺されるのなんて信じられないけど、やっぱり幸せは家族だと思います。

 

八月十四日(四日目)

 午前はダーちゃんの家族が住んでいる場所へ行きました。また会えてよかったです。家の中にはダーちゃんの本やダーちゃんとダーちゃんの夫が若いころの写真などがならべてありました。そ 後ダーちゃんからベトナム戦争のことを話してもらいました。ダーちゃんは十三才のころ、目の前で家族が殺されるのを見て、その後、妹とも別れてしまうこともあったりで、涙をこぼしながら言っていました。その状況を想像するとこっちもとても悲しくなります。話が終わったら、写真をとったりして、楽しく家族 と交流しました。その後に本当は学校に行って、子供たちと交流するわけだったけど、夏休みでいなくていかなくなりました。交流したかったので残念でした。

 次にぎゃくさつの村と言われ る、ソンミ村という所に行きました。ここでは百七十人近くがアメリカ軍に殺されてしまったといいます。その時のぼうくうごうなども再現されていました。近くには写真館がありました。写真はどれだけ多くの人が殺されたかがよくわかりました。この辺に人の殺された姿があったと思うととてもこわくなります。

 空港へむかうとちゅうではバス の中で歌をうたったりして楽しかったです。飛行機に乗ってベトナム2番目の都市、ハノイに着きました。そこで夕食を食べました。そのころはもう一〇時過ぎ で、とてもねむかったです。

 

八月十五日(五日目)

 今日は、ベトナムの友好村に行 きました。そこは、枯葉剤で、しょうがいを持った子がいるしせつです。日本から送られてきたコンピューターでコンピューターの授業を始める式がありまし た。ベトナム戦争は終わったけれど、まだ枯葉剤と戦っている人たちがいます。その人たちがつらいけれどがんばって生きている事を世界に知らせてくれるとい いと思います。

 しょうがいの人と会うのはすご くきんちょうしました。そこの子はリハビリや歌、ししゅう、ぬい物などがすごくうまかったです。ぼくなどよりすごくうまくて、そのしせつで、そこの子が ぬった服やかびんしきを売っていました。みんな、しょうがいを持っていてもぼくたちに笑顔であいさつしてくれたりしてすごいと思いました。いっしょに遊んだりもしました。

 夜に水上げきを見ました。水の上で、りゅうや人の人形がおどったりしました。たまに花火みたいなのをやったりしてげきじょうをもりあげていました。

 

八月十六日(六日目)

 今日は午前中にホ―チミンのはかと、かくめい博物館に行きました。ホーチミンのお墓はすごく大きい建物の中にありました。入るためのけんさがすごく大変でそこらじゅうにけいさつがいました。なんとそのホーチミンさんのおはかは、大きいベッドの上に死んでしまったホーおじさんの体がそのままくさらないようにしてみんなに見えるようにしてあ るのはおどろきました。

 次にかくめい博物館に行きまし た。そこではベトナム戦争の時におきたかくめいについて写真などでくわしくせつめいしてありました。午後は自由行動で、買い物など楽しかったです。