「日本への旅をふりかえって」
 グエン・ゴック・ラン(クオック・ホック高校、ベトナム)

 「日本」という言葉を聞くと、私にはいつも、東方の日出る国、桜と富士山、そしてサムライの国というイメージが浮かびます。けれども福岡国際空港に降り たった時から、もっとずっとそれ以上のことを自分の目で知ることができました。 
 まず、福岡市が、巨大なショッピングモールや高層ビルのある近代的な都市でありながら、数多くのお寺や神社などをあわせもつ、とても伝統的な場所でもあ ることに感動しました。古いものと、新しいものが、ほどよくまざりあい、とけあっていて、異和感はなく、しっくりして見えたのです。
 続く、長崎への旅では、本当に多くのことを考えさせられました。被爆者の方のお話を聴く機会を得、実際に93歳のおばあさんのお話を直接うかがって、大 変、心打たれたのです。その恐ろしい日のことを思いだして、おばあさんの目に涙があふれたのを見て、奇妙なことに私は、ベトナム戦争を経験した祖母のこと が思いだされたのです。そして、戦争の悲劇についてより深く理解できたように思います。戦争の痛みとは、人種や国籍にかかわらず、重い犠牲をしいるのだと いう、とても重要なことに私は気づかされました。 
 原爆資料館を訪問している間も、同じような思いが、ずっと私のこころのなかを駆けめぐっていました。ベトナムの学生として、日本に原爆が落とされたこと を知らなかったわけではありません。けれども、被爆の実相は、私の想像をはるかに、こえたものだったのです。展示されていたものはどれも、あまりにリアル かつショッキングであり、いまだに、私には、壊滅された都市、生き残った人びとのすさまじい顔つき、そして傷ついたり、亡くなった人びとの姿がありありと 思いだされるのです。展示のなかには、頭蓋骨の破片がいくつも突きささったヘルメットや、いたるところに散らばる焼けこげた死体など、背筋が凍るものもあ りました。それでも私は、それらを見学できたことを、こころから感謝しています。

 原爆資料館で、とても気が重くなっていたのですが、平和公園を訪れ、救われました。青い芝生、涼しげな噴水、そして飛びまわる鳩たちと、ともに暖かい日 差しに包まれて、安らぎと心地よさを得ることができたのです。まるで私は、数分の間に、なにもかもまったく異なる2つの世界に、いたかのように感じまし た。一つは暗く、犠牲者と悲しみ、痛みであふれた世界、もう一つは明るく平和にみちた世界です。もしかしたら、戦争と平和のきわだった対称性について感じ るものと同じではないかしら、と私は思いました。そして、もしそうだとしたら、実際に戦争と直面しなければならないということは、どんなに悲惨なことだろ う、との思いにとらわれたのです。今、私たちが享受しているこの平和の、どんな一瞬をも、大切にしなければ、と。

 日本への旅行をふりかえると、そこでの経験すべてに感謝の思いでいっぱいです。最後に、このセミナーを実現してくださった新英語教育研究会の皆様に、こ ころからお礼を、もうしあげます。(訳:菊地 恵子)

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